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ムソルグスキー「展覧会の絵」から見る芸術性



ムソルグスキー展覧会の絵」から見る芸術性

この計算しつくされた音づくりは一体なんなのだろうか。すべての授業を受けてから思った。モデスト・ムソルグスキー作曲の「展覧会の絵」ではリズムから強弱、音符ひとつひとつにまですべてに意味がつけられている。これは異常なのではないか。

 授業内でいくつかハルトマンの絵を見た。それはすべて曲のモチーフであると確定された絵であった。まずここでは、モチーフとされているか不明な絵についても「追跡ムソルグスキー展覧会の絵”」という本を参考にし、もう一度私なりに見ていこうと思う。

「グノーム」

これは、おどろおどろしい様子の曲である印象だが、この絵の小人の表情は意外にも子どもっぽくてかわいらしい。もしムソルグスキーがこの絵を見て作ったのであれば、絵の世界をストレートに表したとうよりは、彼の恐怖心やショックが先に出てしまったというほうがふさわしいだろう。だがよく見ると、小人の目元に異様な力強さを感じる。酔っていたムソルグスキーは絵を見た途端この目ににらまれたのではないだろうか。

「古城」

モチーフとなった絵の候補は3つあり、図2はそのうちのひとつだ。実際にこの絵がモチーフとなったかはわからない。曲のみを聞くともの悲しく、苦痛をともなった印象を受けたが、この絵を見たときその色鮮やかでおごそかな美しさに驚いた。おそらくこの曲はシンプルに古い城を表しているのだろう。先の「グノーム」ににらまれた彼は動揺してしまったが、この「古城」に入った彼は、どっしりと重たく美しい様に見とれている。

「ビドロ」

 初めに曲だけを聴いたとき雨が降っているようだと思った。とくに右手の高音は雨が地面にたたきつけられ撥ねている様子だと感じた。そして授業内では女の泣き叫び声だと聞き、水が狂ったように流れ出る様子だと確信した。さてこの曲の候補にあがった絵を見ると牛車はなく、十字架やギロチンがあり兵士がいる。人々は背を向け不吉なものを遠巻きに見ている。絵のタッチから雨が降っているようにも見える。私の考えでは、ムソルグスキーはまたもや絵の世界に入り込み、死体を墓場まで持っていくという彼独自の想像をした。それはむろんハルトマンの死によって得たインスピレーションからである。

リモージュの市場」

絵はフランスで描かれ、取っ組み合いをしている女たちなどの人々の姿が14枚ある。曲もにぎやかな町の様子そのものだ。この曲でムソルグスキーが絵の世界に入り込んでしまうことが明確となった。「ビドロ」とはうってかわって、曲が明るいのである。この一見狂ったような精神状態も、彼が絵の世界に入り込んでしまうことをよりリアルに感じるという点で説得力がある。また、ハルトマンの絵を見ることができてうれしいという一面もあるかもしれない。様々にからみあった複雑な思いでムソルグスキーは絵の前に立っていたのではないだろうか。

カタコンベ

様々な絵を見てきたムソルグスキーであったが、この骸骨を見て感受性豊かな彼は何を感じたのか。それは「グノーム」のようなショックとは程遠い。無数の骸骨は彼をにらまなかった。骸骨がひとつだったらばショックを受けていたかもしれない。無数の骸骨を見ることによって、誰にでも死が訪れるということがわかり、彼はハルトマンに祈りをささげる。またプロムナードと同じ旋律を出すことでまず自分とハルトマンの違いをはっきりと示し、そこから彼の死を理解しようとしている。

では次にこれらの解釈から、この楽曲にある芸術性とはどのようなものであるか見ていきたい。

 これは絵以外にもあてはまることだが、人間が誰かの芸術作品にふれるとき徹底して客観的、つまり普遍的に経験することはない。必ず主観をもって感じ、経験する。とくに、その誰かが自分と関わっている人間だとその傾向は強くなるだろう。ムソルグスキーも例外ではない。そのため作曲する際も、ハルトマンの絵の世界をそっくりそのままストレートに表すことはできない。ハルトマンの絵の世界はハルトマンの絵でしか表すことはできないのだ。そして自分の目で見て感じた絵の世界を音楽にし、時には演奏者も介入させないプライベート性から、より深い二人の関係を知ることができる。

 またムソルグスキーはこの作品を通じて他者と一体になることを目的としている。他者というのはまぎれもなくハルトマンである。それによってこの楽曲は利己的・わがまま・独りよがりにはならない。そして他者であるハルトマンとは、自分の中にある自分でないもの、つまり神であり、さらに言えば自分が信じているもののことである。

 次に、ラヴェルの編曲版などにも見られる受け取り方の問題から考察する。音楽含め芸術作品において言えることは、必ずしも制作者の意図したものが人にそのまま伝わるとは限らないということだ。つまり、コンセプトというものだ。私はこの楽曲を聴く限りムソルグスキーにとって、コンセプトなどというものは全くどうでもいいことだったのではないかと思う。決して彼は自分の思いを誰かにわかってもらうために曲を書いたわけではなかった。ハルトマンのためだけに書いた。それが自分自身のためにもなった。そういった言葉にならない強く揺るぎない思い自体が、唯一芸術を生み出すことのできるパワーである。「追跡ムソルグスキー展覧会の絵”」の中で団伊玖磨は、「何かに憑かれたかのように、わずか3週間という異例の早さで、『展覧会の絵』を作曲した」と書いている。この何かに憑かれたかのような創作活動を、制作者側も受け取る側も感じることは、良い誤解・悪い誤解があるにしろ、コンセプトに逃げてしまうよりずっと重要なことだろう。

芸術というものを定義することは非常に難しいが少なくとも、独りよがりではないという点と言葉にできないほどの何かに対する強い思いが必ず存在しているように思う。ムソルグスキーの場合は、ハルトマンに対する愛情、それも一番大切だった人の死によって感じ得た様々に絡み合った感情が、芸術作品へと昇華させた。

展覧会の絵」はムソルグスキーの生前には一度もコンサートで演奏されることがなかったという。これがもし、演奏者だけでなく聞き手にまでも介入させないプライベート性からであるならば、まだ誰も知らない、もしくはこれからもずっと知ることのできない芸術作品がたくさんあるのかもしれない。

参考文献

 団伊玖磨 近藤史人 『追跡 ムソルグスキー展覧会の絵”』 (東京): 日本放送出版協会, 1992年