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ないものねだりのろくでなし

2004-02-13



◆社交性<アンダーグラウンド>おたく

いとうせいこう氏の 「カール・マルクス」その可能性の中心 というエッセイを読んだ

いとうせいこうといえば、私が14歳のときにビートクルセイダーズにのめりこんでいた時期があって、日高央に似ている人物、とかメガネ、とか、16歳のときに毎週見てた虎ノ門とか、なんかそういうイメージしかなくてトホホなんだけれども。すごく良かった。動物は考えないから話さないわけじゃない、たんに話さないのだ、というフレーズを上手く使っていたりする。

なんだかんだで結局、言葉、について考えているのだなあと思った。私は。

人間関係だって読んだ本のことについてだって音楽だって、すべて、向こうに言葉があった。しかも、他人の言葉として受け止める自分の言葉。厄介払いをしたいのに、それでも頭の中に浮かぶのは言葉、で、ゴダールはそれを上手く使う。ばかやろ。私も上手く使えるようになりたい。からこうやって、書いたりしてるのかな。はああ、いつになったら。

私の言いたいことが理解されなくても、すごくいいと思う。理解してもらうよりは、相手の経験の一部になっててほしい、というか。さらに言えば、その経験に、すごくデカイ衝撃とかいうのもいらない。

最近のヒヒョーカっていう人たちは、読者が自分達にどう書いてほしいのか、っていうことばかり考えていると思うから、根性が曲がっていると思います。相手が自分に何を求めているのか、とかそういうことばかりしか考えられない人は悲しいです。もうすこし、他人のものに触れ自分がどう感じたのかを素直に述べ、その意見を受け手が自分の経験として消費できるような、そういうヒヒョーカはいないのですかね。しかも音楽専門のヒヒョーカ、とかファッション専門のヒヒョーカ、とか意味わかんね。ヒヒョーカを専門にしてどうすんだ。だからヒヒョーカってきらいよ。音楽を物理学の視点から、ファッションを文学の視点から、ヒヒョーできる人とかがいたら、すごくすきなのにな。

ロッキンオンは嫌いだ、とかタナソーは嫌いだとか言う前に、そういうことをハッキリさせとこうよ、ってかんじで。


◆日記

おれはくそったれと叫ぶ

というのは友人のお言葉

今日はKくんのおうちにお邪魔してしゃべる、しゃべるってかんじで。彼のお母さんの入れてくれたハイビスカスティーがすごく綺麗な色で美味しかった。

友人もブラウンバニーを観にいったとのこと、しばらく会議をしました。私が、クロエのいろいろでますます女が嫌いになった!って言ったら、デイジーもかわいそうな気がしたよ一瞬とか言われて、なんかね、彼はそうなんだろーなと思った。

つーか明日はOさんとなんとかバザールに行ってきます。内容とかよくわからないんだけれど、とにかく入場料500円はOさんが何かを持っているらしいのでタダになるらしい。その後のバイトがムカつくけどまあがんばる。

おしまい