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ないものねだりのろくでなし

フィニステア



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フィニステア / ポール・ケリー

ホームレスとデザイナーズマンションに住む人、フードをかぶった若者、ラッシュアワー、映像の随所でロンドンと東京って似てるなあと思った。根拠のない希望とか自信みたいなものできらきらしている街イコール都市の話である。

ただ何かロンドンは重くて東京からは軽い感じを受けるのだ。ロンドンにはピストルズがいるということがとても大きいのかもしれない。若い子たちのタトゥーやピアスを見たマーク・ペリーの「パンクがすべての壁をとっぱらったのに見た目にこだわるのはおかしな話だろ。ホント意味がないよ」という言葉。

そして「誰もが似たような格好 髪を伸ばしタトゥーやピアスをすれば反体制 数年後はすっかり落ち着いて株の仲買人 ジーザスクライストのような若者が店をひっくりかえしたら面白い 欲しいのはTシャツやタトゥーじゃないと青春の主張をするんだ」という言葉の後ろで静かにメイドインチャイナのイギリス国旗柄の靴の映像が流れている。これはイギリス人の私でなくても確かに切ないものがある。

それから「ヴァシティ・バニヤン環境保護を擁護する人」・・・つまり「ヴァシティ・バニヤンを聴くこと」に「環境保護を擁護すること」というステイタスめいたものが付随しており、それはヴァシティバニヤンを聴くこと自体よりも、そのステイタス自体を掲げる人々が当然にたくさんいるという話もあった。つまりこれは音楽がファッション化されているということであろう。東京でもこの現象は多いように見られるし、どの国にもあるのかもしれない。それは無意識のうちにであろうと私たちが音楽を日々の感情のカンフル剤として使っていることの延長かもしれないけれど、もう少しどうにかならんものかとも思う。単純に私は、音楽を純粋に楽しむ瞬間を持っていたいものだと言いたいだけなのであるが。

ところでバニヤンの雨論がかなりかわいかったのです。「雨は大好きよ しばらく降らないと心がトゲトゲする とくに庭好きなわけではないけど 土が乾いて植物がぐったりしてると悲しくなる」と。オーバーザレインボーじゃないけれど、雨はなかなかすてきなものかもしれない。

たいてい嫌われる雨にも、たくさんのすてきなシーンがある。それと同じで、結局は街が好きっていうコンセプトだったのはかなり好感であった。私も都市で育っている人間だからか、猥雑な都市ってヤッパリ好きです。渋谷とか新宿とかもうゴチャゴチャしていてわけのわからない感じ。「自分を消したい時は雑踏に紛れよう」という言葉は、都会の人間ならば誰でもうなずけるものだと思う。また「子供の頃は静止した自然が怖かったよ。」という言葉からは、深夜の街でオールをする私たちは永遠に子供なんか、と思う。でも子供には夢がある!!

わけのわからないもの、混沌としたもの、子どものような好奇心、、、都市というのはこういった特徴を持っている。そこに夢や希望を見ることの、何がいけないというのだろう。