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ないものねだりのろくでなし

そういえば子のクラスの道徳の授業も無事に終わった。場面緘黙についての授業は、私が先生にお貸しした「なっちゃんの声」という絵本を使いワークという形で行われたそうだ。詳しく書くとつまり先生が一方的に説明するのではなく、絵本のこの場面ではなっちゃんはどのような気持ちだったか等のテーマをいくつか提起して、その都度子どもたちが考えて発表するというスタイル。出てきた意見は非常に素直で、シンプルで、まっとうで、私は電話で内容を聞きながらすこし泣きそうになった。最後はこのクラスにもいろいろなタイプの子がいるけどそれをみとめて助けあっていこうというまとめになりました、と聞き私はここ最近で一番安堵したというか心の荷が下りたような心持になった。子も今年度すでに3回手を挙げて発表できているらしい。去年よりだいぶ子どもたちも成長しているように感じる。ほんとうに、昔よりも心の成熟が早いなあと思う。それにしても担任の先生には頭があがらない!電話で最後に「これからも私が困ったときは○○ちゃんに助けてもらいますし、〇〇ちゃんが困っているときは私が助けてあげられたらと思っています」とおっしゃって、ああこういう目線の御方なんだなあと深く納得し深く感謝したのだった。二人の小さいお子さんがいながら遅くまで働き、優しいまなざしで見守りサポートしてくださり・・その器の大きさにひたすら感謝するばかり。

あっという間に今週も終わり。。今日は夕方に面接をしてもらえることになりそわそわしている。それで書かずにいられない。書いてれば落ち着く。
つまり水曜に募集の張り紙を見て電話をかけたらハイ会いましょうという感じで、このテンポにあせっている。そのテンポに乗り遅れまいと急いでこだわりの金髪を黒く戻す(と言っても、ブルージュという青色をカラーリングしたら黒灰っぽい色になった)。履歴書を書き、どんな質問をされるか考え、あとはひたすらその時間を待っている。

本当はやっぱり子のこともあり在宅の仕事で、と思っていたが、たまたま好きな仕事&平日募集の求人を見つけてしまった。近頃は子の調子がよいこともあり本当に突発的に、勢いで電話をしたのだった。
そういえば学生の頃に憧れていた職場に電話したのも相当緊張した。。しかも募集していないと言われたのに会ってくれて、面接したらあっB型なの?じゃあ人手が足りない時でよければいいよと言われ、その後しれっとレギュラーに居座ったのだ。あれほどB型に感謝したことはない。そこでの仕事は夢のように楽しかった。たくさんの人に出会い、覚えることも多かったが、ぜんぶが新鮮で楽しかったし、雑談ふくめて今でも心の支柱になっていると思う。人間力の基礎を学んだと思っている。だからそんなふうに、自分が欲しているときは動いたほうがいいのだと思い込んでいるので、今回も電話してしまったし、そこからまたすぐに進んでいくというのも久しぶりでドキドキして、でもこういうことは必要なんだなと気づく。ずっと閉じこもっていたここ三年間を抱えて。

そうやっぱり動いたほうがいいときはある。大体はジッとして動かない蛇のような自分だが、動きたいときは動くべきでアクション、アクション、書くのでもなんでも、ひたすらに。全然関係ないけど、北朝鮮と韓国もひとつの戦争を終わらせたという点に焦点をあててみたら非常に大切な、世界の価値観が大きく変わった一日だったのではないかとチョコパイアールグレイ味をかじりながらテレビ見てる今。

◆メダカちゃんのこと

彼女なりに教室にいるメダカとエビについて一週間観察した結果をくわしく教えてくれたのでせっかくだしメモしておく。
・エビは水草のわりとふわふわのところを食べている
・エビは泳ぎながら糸みたいなうんちをする
・エビの抜け殻が地(下)に大量に落ちている
・メダカは上のほうにばかりかたまっていた
・メダカはエビの抜け殻がいやなのかな?と思って先生と一緒に水をきれいにしたが、メダカはやっぱり上のほうにいる
・エビが地に穴を掘り始めてくぼみができた
・するとメダカも下のほうに降りてきた

自転車に乗りながら雑多な内容

リハビリセンターの方はとても聡明な方で、緘黙由来の対人コミュニケーションに不安定さがあるのと、ある決まった形の物を記憶するのが苦手ですね学習障害の可能性はあるかもしれませんとすっきりと言ってくださり、はああなるほどですとしか言いようのない面談内容だった。あとは、通級には診断がおりなくても通えること、しかし学校からの申し込みが必要なこと、授業を抜け出すのでそこまでの価値があるのかを考えるべきこと、また彼女が通うであろう情緒教室の場合は小学校よりも中学校のほうが内容的には個人に沿っていることなんかを教えてもらった。9月ごろに初診予定でそのあと心理の検査となる見込みだそうだ。とりあえず今はなんと挙手して発表なんかもできており、このまま楽しく学校に行ってくれたらいいですねとどの方も言ってくださるので、ありがとうございますありがとうございます、とひたすら繰り返しても足りないくらいだ。

◆土手沿いをずっと自転車で走っていると追い風がビュンビュンで、そのまま突っ切って川の向こうまで行けるんじゃないかな或いは行ってみようかなという私の中の窪塚洋介がしゃしゃりでてくるよね、それが今日でした

ふんわりワードの呪い

我が家の場面緘黙症の子であるが、教室では言葉が出ないだけでなく表情がこわばることも多々ある。始業式の翌日、さっそく子がクラスメイトの女の子に言われた言葉に怒りまくって帰ってきたのだった。
「いつもニコニコしていないと可愛くないし嫌われるってうちのママもいつも言ってるよ」
連絡帳チェックのために列に並んでいた時に、前にいた女の子が振り返って言ってきたようだ。話を聞いた私はなんてヤツだ!とプンプンしそうになったが、子の怒ってるポイントは「ママがママがっておまえはバブちゃんか!!!ニコニコしてりゃ正解なんか!!」ということだったのだ。たしかに、と思わされた。つまりそれはこの二つの視点だ。

 

◆お母さんが言っていることは正しいのか
◆いつもニコニコしていないといけないのか


私の推測では、おそらくその女の子のお母様は「いつもにこにこしていればお友達がたくさんできるよ」というふんわりした意味合いで声かけしているのだろう。そして「私のママが言っていることはいつも正しいのだから周囲にも教えてあげよう」という考えで彼女はコワイ顔したうちの子にもそう言ったのだろう。
だけど本当は、いつもニコニコしてないといけないわけではない。無理してニコニコしてまで人に好かれたり友達を増やす必要はない。”好き嫌い”と”尊重する尊重しない”ということは全く別物であると考えているからだ。


結局子は彼女に反論しなかったというかできなかったというべきか…。家に帰ってからしばらく猛烈に怒っていたが、途中からへこみだしてしまった。まだ八歳、他人の言葉に囚われるのも無理はない。それは呪いの言葉なんだよ。家族みんなで無理してニコニコする必要はないと言っていたら、あの子はぶりっこするのが好きなんだな、ということで着地したらしい。
その子がもし単刀直入に「怖い顔してるから私はあなたが嫌い」と言ってきたとしたら「あっそう私はぶりっこ嫌い」でスッキリ終わるし、嫌いだけれども”この子はそーゆー子なんだ”ってお互い認め合えそうな話。嫌いだからあなたのことは認めない、とかっていう話にはならなかったのかなって思う。


いやしかし、ふんわりワードってのは本当に呪いの言葉になるなーと自分を戒めたい。

◆風邪ひいた
鼻水が止まらなくて、止まったと思ったらのどが痛いのとキイロっぱな。そしてねむいねむい、、子が実家に泊まるというので一人家でアマゾンミュージックききあさっている