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ないものねだりのろくでなし

RIZE



大変気分よくふらふら酔ったのも久々で、耳の中のトーキングヘッズもよく笑っていた。

RIZEという映画は素晴らしかったし、韓国料理と濁酒は美味しいし、かわいい女の子が目の前にいるというのは大変よろしいことだ。

しかし彼女には本当に本当に尊敬するのでいつだってブラボーとか叫びたかった。誕生日プレゼント交換わたし幸せ。いろいろなことが当たりまえに変わっていくけど、そういう移ろいを含めてこうやって飲んで笑ったり共感できたり尊敬できるのは変わらないって人、少ないけどでも本当に大切で大変感謝の気持でいっぱいだし頗る幸せだと思った。

ちゃんと見てないと残酷なんだよね〜何が幸せなのか誰が大切なのかとか、って今も青二才だけど。いろいろ考えた。でもすぐやめた。今と未来を大切に。

◆映画「RIZE

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RIZE / DAVID LACHAPELLE

ラシャペルは4年ほど前に日本で知ったけど、ちょうど土方巽のポスターを気に入ってしまって横尾さんの作品集を買ったときにはっとしたものだった。

ところでラシャペルの写真集はロサンゼルスの本屋で初めて見てほぼ毎日眺めていた。その本屋は美術書スペースにソファがあっていつまでもいてよいのである。それでついにハリウッドの胡散臭い変な道を歩いていたら汚い本屋があってそこで小さい写真集を見つけて即買いした。おまけされて。それでまた裏表紙にはっとした。

なんの根拠もなくラシャペルは横尾さんと何か通じるものがあるとずっと感じていて、それでやっぱりあー絡んでたんだと思ったら嬉しかった。要するに2人とも狂気とポップと、グロテスクと綺麗とを同じカンバスに美として持ち合わせる。

前置きは長くなったがそんなラシャペルの初監督作品。よく子供が意味なくただひたすらぐるぐる回りすぎて転んだりしてるのに通じるもの、クランプ(というダンス)はまさに破壊的で宗教的だ。ダンスする黒人の肌の色が本当にここまで美しいと感じたのは初めてだった。やっぱラシャペルが撮ったからだろうか。

ダンサーたちはクランプに怒りをぶつけると言ってたけど、それはサウスセントラルという場所とか環境のただのきっかけであって、ダンス行為自体はアドレナリンがブワーッでスーフィーみたいなむしろ気持ち良いハイな状態にも見えるし、無心でただひたすら身体だけを感じている無という永遠の状態にも見える。実際私も踊っていてやばい時ある。そうやばい時あるね。限界越えてるのに動きが止まらないのね。あれがダンスの面白いところ、踊る阿呆と見る阿呆との明らかで決定的な違いか。

でもこういう宗教的なものが垣間見えるとやっぱもーどーしよーもなくアートだと思った。たぶんラシャペルもそういうギリギリな感じ見てて美しいから撮ったんじゃないかな。だけどそれでかえって結局私はダンスは見るもんじゃなくてやるもんだあなと感じた。でもこの映画はそこまで示唆してないだろう。ただラシャペルは純粋に美しい映像を撮りたかったんだと思う。

だからこそ、サンタモニカピア(おそらく)の夕暮れの海の前で父に自殺されたダンサーがアギレラの曲でやはり激しく踊っているシーンがひどく美しかった。それはラシャペル独特の色彩と構図であったしきっと音楽も効果としてあとからつけたのだろう。それでもアギレラの曲はあの瞬間に必然であったし本来あるべき音楽の姿でもあったし、それによってダンサーの人生の美しさがそこに凝縮されていたと思う。