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ないものねだりのろくでなし

蛇と蝮



Oさんに教えられてクロスビート立ち読み作戦。と、ジョンの目の下の皺を見たらなんかもうタワレコで私泣くかと思った。子どものときみたいに人の顔見て安堵すること少なくなってしまって、もしみんなにこいびとがいるならそのかわいい人と会ったときを想像してみてほしい。多分そんな感じだ。自分が溶けてまったく泣けてきてしまうようなものです。

であるけれども、それはそれだと思った私はきのこ型のいすを買ってもらったので、うれしいとか座り心地が好くてああうれしいとかひたすらばかみたいに言っていた。

そこでこうゆうのはどうだろう。例えばもし君がバズコックスのCDを持っていたら僕に貸してみてはどうか。私の頭ん中にはこういう思いがいつもある。そうしないとなんだかそのうちただ蟻が歩いてるの見ただけで泣きそうだ。

ずっと避けてきていた写真の整理をする以外に何もすることがないのでずっと避けてきていた写真の整理した。たくさんの写真を目の前に、思うことはあまりなかった。ただひとつ思ったのは、日本で初めてワープロを使って小説を書いたのは安部公房だが、私は文字を書くというよりは打つといったほうに傾いていて残念なことにペン握ったところで何も起こらない。あの人はペンが饒舌だから好いと、そんなことだけ鮮明に思い出した。

それでどうしたって眠れなくて寺山の自殺学入門を読んで思い出すのは秋のことだ。からどうしようもなくて、続けて窓を開け放しにして太宰の斜陽を読んでマイ・コメデアンなんやその、と私はずっと昔から、今だってフツカヨイである気がしてならないことに気付いてしまった。過去のことを思うと泣けてしまうし、何か重大なことを言葉にしないまま、ああわかるわかる、と言っているようで、それしかし何か重大な問題であろうか?

だから一体何なのかと言うと、3年前の未来ってこんなはずではなかった!と多分叫びたい気分であることと、でも私はフツカヨイで頭がわるいから何もかもわかっていないという話であって、結局死ぬまで蛇と蝮の区別もつかないのである。仕方ないから日向夏食べる。