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十九世紀の人工楽園



十九世紀の人工楽園

 アルコールというものが、ヨーロッパ文化に大きな影響を与えていたことは本書の「産業革命、ビール、そして火酒」や「儀式」「居酒屋」の章から見ても、やはり確実であろう。アルコール飲料を禁じようとする動きについて、著者シヴェルブシュの言う「ドン・キホーテ的な試み」というのは、セルバンテスの小説である「ドン・キホーテ」の中でドン・キホーテ自身が風車を敵だと勘違いして突撃し、意識を失うというエピソードをうけて、禁酒するという動きがそれだけ当時のヨーロッパ人たちにとって無謀なことであったという意味だろう。アルコールというものは反社会的影響があるにもかかわらず、ヨーロッパ文化とは切っても切れない関係であった。

だが、麻薬はヨーロッパ文化においては定着しなかった。著者は「ドイツ語には麻薬をあらわすうまい表現『酔わせる毒薬』がある」と述べる。酔うというのはまさにアルコールについて使われる言葉であり、それに「毒薬」がつけ加えられている。ルドルフ・ゲルプケによる解説によれば、「毒薬」ということはつまり毒性があるということなので、使用する量によってはその毒が人を酔わせもするし、或いは人を殺すということもあり得る。つまり酩酊と中毒とは同じと捉えることになる。ではワインも「酔わせる毒薬」になるのかというと、それはヨーロッパ人にとっては滑稽なことである、という。つまりヨーロッパ人はアルコールを毒薬だとは思っていないが、アジア人やインディアンなどが伝統的に使用している麻薬については毒薬だと考えているのだ。

 ではそういった認識の中で当時、麻薬はどのようにヨーロッパの人々に扱われていたのだろうか。またその影響はどんなものであったのだろうか。

 十九世紀の初めでは、阿片は家庭の常備薬、鎮痛剤としてごく一般的に使われていた。薬局でも売っており、精神安定剤や子どもを寝かしつける際にも使われていた、まさに万能薬である。またそれだけではなく、あらゆる労働者階級にとって阿片は必要不可欠なものだった。イギリスの低い賃金しかもらえない労働者階級にとって、安い阿片は高いアルコールよりも手軽で日常的なものだったのだ。阿片消費は、居酒屋でのアルコール消費と匹敵していた。

 阿片と並んでハシッシの常習者も多かった。とくに芸術家や文学者たちが阿片やハシッシを愛用していた。それは当時の「芸術家」という理想イメージが、反社会的な存在であり市民社会とは明確に区別されているものだったからである。そんな彼らの幻想の行く先は、オリエントであり、阿片やハシッシはそのオリエントからやってきたものだった。アルコールの酔いよりも麻薬の酔いを選ぶということが、ある意味では芸術家としての態度であり、ステータスだったのであろう。アルコールが合理的な酔いなら、麻薬は破滅的な酔いとなる。ボードレールは、アルコールの酔いと麻薬の酔いとを見事に対立させて述べている。

 そして、この芸術家つまり反社会的な人々の麻薬愛用が、市民社会における麻薬のタブー視を後押しし、阿片やハシッシなどの麻薬というものが日用品どころか、危険や個人をおびやかす恐ろしいものだというイメージを市民たちに与えた。科学の進歩によって認識された具体的な麻薬の危険性から身を守らなければならないという社会の動きよりも、芸術家たちがもたらしたこの感情的な影響のほうが、現代でも人々が感じている麻薬への不安というものに寄り添っているのではないだろうか。

 十九世紀の後半になると、麻薬のタブー視よりも麻薬依存のほうに問題はうつってくる。阿片からモルヒネやヘロインが精製されると、麻薬の毒性作用が目立つようになり、麻薬の社会への影響はさらに深刻になってくる。また戦争中に病院で大量に使われ、それによって軍隊から市民社会へ移行するプロセスは、煙草と同じだ。麻薬は深刻な社会問題となり禁止されるがヨーロッパ内ではほとんど無意味で、中国での阿片問題をうけてようやくきちんとした麻薬法の制定に踏み切る。

 では中国の阿片問題というのは一体なんなのであろうか。著者シヴェルブシュは「中国は阿片文化に染まった」とまで述べている。阿片問題にはイギリスの東インド会社が大きく関与している。当時、東インド会社は中国王朝と貿易していた。中国がヨーロッパと貿易するメリットはとくになかったが、ヨーロッパ側は上流階級に人気のあった茶や絹などを中国から輸入することが大事だった。これはまだ中国がヨーロッパと対等だった十八世紀初めまでは、きちんと貿易という形をとっていたが、しだいにヨーロッパが攻撃性を強め中国の力が弱まっていく十八世紀に入ると、東インド会社の一方的支配へと移行していく。東インド会社は中国への現金払いをやめ、植民地であるインドで大量生産されていた安い阿片を輸出することにした。この結果中国ではあらゆる階層の人々が阿片を吸飲し、国内の政治や社会への深刻な影響が出てきてしまう。政府はくりかえし禁止令を出したが失敗に終わり、阿片戦争が起こり阿片は合法化される。

ヨーロッパ側はこの阿片貿易によって莫大な利益を得た。阿片を売って、代わりに茶が手に入る。さらには中国が阿片中毒者ばかりになってしまったということ、つまり中国の競争能力を弱まらせ支配しやすくすることにも成功したのである。東インド会社自体が「阿片の使用について、自国では禁止したい」という旨を記していることからも、阿片の危険さをはっきりと認識していたことがわかる。ヨーロッパでの麻薬の使われ方と、中国での麻薬の使われ方では度が全く違うものであり、ついにヨーロッパは麻薬に飲み込まれることはなかった。

 アルコールや麻薬などの新しい嗜好品は使用していくにつれてだんだん慣れてきて、習慣化してしまう。著者シヴェルブシュは「このことは、個人だけではなく、文化全体にも当てはまる」と述べる。

新しい嗜好品や異国の嗜好品に対して、はじめは空想的な期待と不安を持つ。だが今やアルコールやタバコは、とくに深い感動もないありふれたものとなっている。一方麻薬に関しては今でも禁じられており、人々もまだ、何か不気味なものという認知をしている。だがこのような、麻薬が文化の圏外へ追いやられている状態を、十七世紀からのゆっくりとしたコーヒーやタバコの容認のされ方に重ねてみると、似ているかもしれない。今まで麻薬に対して抱いてきた接触不安やおそれなどが次第に軟化されてきたのだ。マリファナの一種であるジョイントという麻薬は六十年代の若者文化のシンボルにさえなった。当時の若者たちにとって麻薬は、父親世代が使用しているタバコやアルコールからの解放をあらわしていた。しかしこの意味合いがうすくなってきた今もなお、麻薬の使用それ自体は日常生活になじんできている。この現実を無視し、麻薬使用を禁止し続けていれば社会に不穏を生み出すので、将来麻薬が合法化され、タバコやアルコールと同じような一般的な嗜好品になることは十分考えられる。

 すでにアメリカでは麻薬をソフト・ドラッグとハード・ドラッグという二つに区別して新しい境界線をひいている。マリファナなどのソフト・ドラッグは社会的に許容できる範囲のもので、これらは無害であるという認識がなされている。一方LSDやヘロインなどのハード・ドラッグは社会的に許容できないもので、これらを使用した際は罰せられてしまう。ハード・ドラッグは、麻薬使用が従来持っている不安や危険を持ち続けているのに対し、ソフト・ドラッグはタバコやアルコールなどの嗜好品のほうへ近づいた。

 しかしソフト・ドラッグが嗜好品へ近づいていくなか、タバコはそれとは逆の方向へ移行している。喫煙が人体に有害を及ぼすという科学的事実から、使用を制限していこうという動きになってきたのだ。このタバコの疎外化がソフト・ドラッグ使用の許容へ影響を与えているし、また互いに関連しあっている。

 ソフト・ドラッグがもし今後一般的な嗜好品になっていけば、その嗜好品による新しい性質を持った文化や社会がまた生まれるはずだ。また、コーヒーとタバコの禁止令が、産業革命前の中世的な世界観を保護するために、コーヒーとタバコで合理性を高めていく近代市民階級の活動力を弱まらせようとするものだったとすれば、「ポスト工業化」といえる今の社会における麻薬禁止法も、さらに高まってきた合理性や自己規律を退却させるためのものと見ることもできる。