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ないものねだりのろくでなし

自分自身のこと(発達グレー)

今回は私自身のことを書きます。

夫の変化や子どもの発達を見守る中で、ふと自分のことを棚に上げてないか?と考えたのがきっかけで、色々気付いたことがある。

 

まず18くらいの時に父から きみは目の情報を信じすぎてるから偏らずもっとたくさんの映画を見なさい と言われたことを思い出す。私はその年のわりにはわりと多くの映画を観ていたほうだと思うが、たしかに好きなものしか観ていなかった。父にはまずベルリン・天使の詩を観ろと言われ、すぐに観た。結局そのあと観たパリ、テキサスのほうが心にズギュンとキて、片隅に追いやられてしまっているが、主人公の天使はいろんな人の声が聞こえてしまうという私とは真逆の人物でありそれが新鮮であったことはよく覚えている。

というわけで私は、親から見て視覚過敏傾向であったことは間違いないようだ。

 

その後夫と同棲するようになってスーパーで食材を買うことが増えた。その時、たとえばおにぎりのたらこを確実に取ったのに家に着くと梅がレジ袋から出てきたり、牛乳を取ったのに家に帰るとヨーグルトジュースにすり替わっていたりと奇妙な体験をしょっちゅうしていた。いやこれは奇妙な体験ではなく、無論私が間違えて買っていただけのことである。それだけでなく、買いたかったものをすっかり忘れて帰ってしまうことさえ本当によくあった。しかし持ち前のポジティブシンキングと私が間違えても決して責めない夫のおおらかさで、まいっか〜で毎回終了してたのである。

そしてさらに驚くべきことに、妊娠後に私が仕事を辞めてから金銭的にやべ〜ぞと自分で思い買い物リストを書いて持っていくようになってから失敗がすっかり減っていった。また産んだ子の安全を守る習慣がついたおかげか、手に取ったものが間違えてないか何度もよく見るようにもなった。その結果、私は自分の視覚過敏に気づかないまま、精神を病むこともなく、何も困らず生活してこれたのである。。

 

思えば、私は小学5年の頃から目がひどく悪かったが大学四年になるまでずっと眼鏡をかけなかった。それは人の顔や表情が見えすぎるのが非常に辛かったからなのだが、私が天邪鬼で変わり者なだけだと思っていたけども、入ってきすぎる視覚情報を本能で遮っていただけなんじゃないかなと過去の自分を理解できた。

また子供が幼稚園の時に自動車学校に通っていた際、君は右左折の時に目視をやりすぎるね〜そんなに見なくてもいいんだよ〜 としょっちゅう言われていた。だけどそれは逆に、間違えのないようにしっかり見よう、と、見なければならない、というケースにおいては、他人よりもよりたくさん見ないと私の場合は失敗するからだ。私は気付かず自分の得意不得意の不得意な部分を、人生の経験からカバーしようとしている。

今年から新しく仕事をしているが、教えてもらったことはまずその場でメモ帳に書き、家に帰ってから清書するかパソコンに打つことで、やっと覚えられる。周りは真面目だねとか几帳面だねと言うけれど、そうじゃなくて、それくらい当たり前にやらないと、人並みに覚えられない。

 

でもそれが、つらいとかえらいとかずるいとかじゃなくて、社会ってそんなもんだと思う。きっと他の人は私よりも不得意なところがあるだろう。たぶん私が他の人より得意なところもある。これから成長していく子どもらを私はそうやってまるく捉えて、助けたり時には助けられて、教えて教えられて、いっしょに生きていきたいなーと思う。